三十年前に、元気だった姑が胃がんで亡くなり、去年の暮にも元気だった義兄が肺がんで亡くなった。
「人はこれほどまでに苦しみの中で死ななければならないのか」
そう思った30年前と、何一つ変わっていない30年後の今の日本の現状に衝撃を受けた自分がいる。
そんな自分の悔しさが、沸々と、日に日に湧き上がってきて、止めどがない。
そんな自分を感じるのは、アロマ講座の時。
講演会などで、ある程度大きな人数の前で話して切るときは、理性というブレーキがかかっているはず。
大人しくしているハズ。
でも、少人数の講座を開催している時、私から学ぼうとして来て下さっている皆さんの前では、歯止めが効かなくなっている自分に気づく。
じょうだんじゃない、ぶざけんじゃない、悔しい!
と思う自分が居る。
手術を三度も受ける事も、抗がん剤を二種類も受ける事も、新薬の治験を受ける事も、すべては本人が決定した事。
そんな事は、頭では十分にわかっているはずなのに、それでもくやしさが止まらない。
他の人に、同じ苦しみを、哀しみをあじわって欲しくない。
そんな思いを止める事が出来なくなる。
「自分から出る言葉が、自分が話しているんじゃないと思うことがよくあるんだ」
そう親友に話すと、もちろんそうだよ、それでいいんだと言われる。
そっか、じゃあ何も気にしなくて、思うままに話していいんだね?
自分の心にも。
ああ思われるのではないか、こうおもわれるのではないか、社会人として、会社経営者として、軽はずみな自分の言葉が、人に迷惑をかけるんじやないか…
そんなブロックにはまり、しばらく躊躇していた。
そしたら、さらにその反動が出で、抑えきれない自分の感情が湧き出してきた。
それからかなぁ?こんなに多くの人の前で話すときに激情するようになったのは。
自分は言い訳をしているのだろうか?
きっとそうに違いない。そうも、思う。
ネットワークという販売方法を取っているドテラが嫌だった。
嫌なやつだと思われたくないという、気取った自分に、踏み絵を踏ませるように、このネットワークという販売方法がおおいかぶさり、
たかだか、自分なんかが人に何と思われようともシッタコッチャナイのだ。
それでも、このオイル達に救われる人たちがいるのだと思う気持ちが勝り、そんな自分に酔わないために、この、世間で嫌われているネットワークという販売方法が潔く、
だからこそ良いのだと腹をくくれるまでになった。
会社の経営者も、施設経営も、言いたいことが言えないなら、降りようと思った。
言いたいことを言う講座がうざいなら、不参加でヨロシイ。
自分は、自分でしかない。
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