まだ、何も話していないんだ

雪が道の端に残っている東京で、先日、友と久し振りに会った。

エステティシャン、アロマセラピスト、ヘルパーという道のりを、互いの影響を受けながら、二十年近く一緒に歩いてきた親友。親譲りの心臓からくる脳梗塞を二回も繰返しながら、今は訪問ヘルパーの仕事を楽しんでいる彼女。

九十才前後の利用者さんたち、九名を担当させてもらいながら、数十年前に読んだエリザベス・キュープラ・ロスの著書を読み返して、あのときには素通りしてきた言葉が、今の仕事と年齢を通して、心に突き刺さってくるという。

「そうだ、そういえばさぁ、以前あなたが苦しんでいた両親との別れには踏ん切りが付いたの?」

一人娘の彼女が、相次いで亡くしてしまった両親。

一人娘だから、当然親の面倒は自分が看るものと思っていたのに、あっけなくあの世に行ってしまった二人の親。

突然失ってしまった彼らとの関係の中で、やれなかった事、介護をするということ、お年寄りの世話をするということに彼女はコガレテ、ヘルパーの道を歩き出したのかもしれない。

この仕事を始めてもう五年が経つという彼女。

お年寄り達の事を、まるで恋人のように話して聞かせてくれる彼女。

そんな暮らしの中で、あなたの中にこれでよしという踏ん切りが少しはついたのかと問うてみた。

彼女の答えはこうだった。

「まだ、なにも話して無いんだよ…」

自分の暮らしに精一杯で、親の心を特に考えることもしないうちに、あっという間に親を失ってみて、今の心残りは彼らと何も話してこなかった事なのだと、気づいたのだそうだ。

先立ってしまった両親との関係で、本当にやり残していた事は、介護でもなく、旅行でもなく、ホンモノを話す事だった。

両親の言い争う姿を見る事が怖くて、いつもニコニコ、あたりさわりの無い言葉だけを並べ、人の心の奥深くに踏みこまない。

それが彼女流の生き方だった。

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