アロマを取り入れた介護現場より【浜松市・招来屋】

静岡・地域密着型ディサービス・招来屋(まねきや)
代表:川端一弘さん・川端美香さん

目次

なぜ介護を仕事に選ばれたのですか?

私を養女にもらって育ててくれた実家の父が脳出血で半身マヒになりました。
まだ介護事業も充実していない時代、経済的な苦しさの中、13年続いた父の介護はとても壮絶でした。

父が亡くなった後、介護が辛くて死んでしまいたいと思う、かつての自分のような人を助けたくて介護の仕事を始めたのです。

本当に救いたい人を救う、やりたい介護をやるには、自分達で介護事業所を立ち上げるしかないと、41歳の時、私たち親子を拾ってくれた今の夫と借金をして介護事業を始めました。

どんな介護事業所ですか?

定員10名までの小規模なディサービスです。集団行動にコミットできない方、ご家族が対応ができない方、

自傷行為がある方、統合失調症の深い方といった本当に大変な方々がいるので現場は本当に大変ですが、その分、思い入れが深まります。

送迎車の中で亡くなってもいいという思いで、看取り期の受け入れを主治医とご家族と連携を取りながら行っています。

死にゆく人を預かってくれるディサービス、本当に困っている人たちにアロマオイルが染み渡ってくれる事を経験させていただく日々です。

メディカルアロマを事業所で使い始めてどれくらいですか?

2年半が経ちました。私たちが命がけで立ち上げた事業所で、私たちの大切な利用者さん達に毎日使わせていただいています。

職員さんが利用者さんのフットケアをしたり、水虫ケアに通院するのも大変な環境の方が多いので、日常のアロマケアに本当に助けられています。

内出血を作って来られる方の腕にアロマクリームを使ってみたり、感染症予防として手にスプレーをしあったり、ディフューザーは皆さんの状況に合わせて毎日、時間帯によってもアロマの種類を変えたり
朝は必ずモーニングミネラルを一杯飲んでいただくことから始まります。昼食にもたっぷりミネラルを入れて調理し、召し上がっていただきます。一人暮らしや、ご家族が忙しい方が多いので、招来屋でできる応援は栄養たっぷりの食事を楽しんでいただく事も欠かせません。

暑い日も隠れ脱水を軽減できたり、高血圧のお薬しか飲まれていなくて、栄養吸収が低い方、骨粗しょう症の治療を受けたいけれどできない方。ところがミネラルを食事に加えたり、オイルケアさせて頂くだけで安定した日々が過ごせるようになりました。

利用者さんとのエピソードを聞かせてください。

在日韓国人の方で、戦時下に生まれて日本名を名乗られていました。
差別と貧困で小学校を出るのもままならぬまま、家を飛び出し、窃盗、服役を繰り返しながら高齢化して生活保護。

人を信じられず、自分さえ都合が良ければいい、ごはんが食べられればいいし、ケーキを切り分ければ自分のが大きければいい、常にふてぶてしい態度を保ちながらも、どこか憎めない寂しげな目をしていた方でした。

天気の悪い時に感情のオイルで遊んでいたときに「いいニオイだね〜」という言葉を発し
フットケアをしているときに、ポツリとご自身の昔話をされるようになり、その方が初めて「ありがとな〜」と言う言葉を発した時は、職員皆で顔を見合わせて驚いたものです。

何かやってみたい事がありますかと聞いた時、
「俺は字を書きたいんだ。学校もろくに出てないから」との言葉

その方がお好きな、トラウマに寄り添うというエッセンシャルオイルを一滴嗅いでから書き取り帳を一緒に始めました。
まっすぐな棒も書けなかったので点線で書いてなぞっていただくという練習をしたら「自分の名前を書いてみたい」とおっしゃったのです。

それなら、日本名と韓国名と二つ、練習しましょう。二つ共があなたの名前、あなた自身なのだからと。

エッセンシャルオイルを使う事で、こうやって自分の心をぽつりぽつり口にするようになってゆきました。
「今度はこれが喰いたいなぁ」「俺、今度はいつここへ来るだよぉ」

70歳を過ぎて、生まれて初めて口にしたであろう、仲間達への「ありがとう」

オイルの力、人の力、仲間の力

ーーーー
統合失調症でも知的障害が入られていて
自分の感情をうまくコントロールできないために暴力を振るう利用者さん。

経歴を見たら警察のご厄介になったことも。かなりの服薬量で、廃人のような状態。
無表情、声をかけても返事はしない。でも、お茶を出せば飲む。ご飯を出せば一粒残らずきちんと食べる。
失禁する事もあれば、促しで立ち上がる事もあるが、とにかく静かで特に手のかからない方でした。
ただ、体調不良も喜怒哀楽がないので掴みづらいという懸念はありました。

多量の薬で過度の便秘と手の震え、水虫、皮膚がボロボロの状態でかき傷で化膿している所もあれば
全体には像のような肥厚した皮膚でした。

最初ボディバタークリームから試し、フットケアを試し、変化をみて行きました。

主治医から処方された軟膏を塗布した上で、入浴後は全身にラベンダーとフランキンセンスやティートリーなどをリラックスと保湿として塗って行きました。するとまず肌がだんだん綺麗になり、
自分で肌を掻きむしるという行為が減って行ったのでストレスも減ってきたのかなと感じました。

天気の悪い日などに、やる事も無いので感情のオイルで今の気持ちを読み解く遊びをしていくと、表情も反応も薄かったこの方から「うん」という返事が返ってくる事も増えてきました。

仕事帰りに、好きな人が居るスナックへお酒を一杯と、おにぎりを一つ食べに行くのが楽しにだったという話から
「おにぎりが好きなんだ?お母さんにも作ってもらったの?」と聞いてみました。すると、

母ちゃんから「俺は要らん子だぁ」ってずっと言われてきと、その方がポソっとおっしゃったのです。

「どういう事?」と問うと、「産むんじゃなかった」「どっかへ行っちまえ」って….

経歴を見たらたくさん兄弟がいて、末っ子だったんですね。40過ぎてからの子供だった気がします。

お母さんも色々と暮らしが大変だったんだろうなと想像しました。

不出来な末っ子だからこそ、お母さんも可愛がっていらっしゃったんだろうなと思いました。

本当に大きくなってからもお母さんと同居されていたのですが、それでも自分が思うようにならないので、そんなお母さんを殴って…

本人にとってのやるせなさが、きっと暴力に走らせたんだろうなと感じました。

家族からしたら大変で、精神病で入退院を繰り返して精神薬の山。

もしかしたらこの方にも笑顔が戻ってくるかもしれないと思い、感情のオイルを嗅いでいただいた後、こう言ってみました。

「あなたがもし居なくなったら、ここのみんなは寂しがるし、泣くと思いますよ」

言葉でのやりとりが出来るようになっていた彼は「本当?」と聞いて、にっこりと笑ってくれたのです。

真っ黒か深緑でひたすら塗っていた彼の塗り絵に、ピンクや赤、黄緑、オレンジが加わってきました。

お隣の人が何かを落としたら「どうぞっ」て拾って差し上げたり「ありがとう」という言葉が出たり、

おばあちゃん達の話に聞き耳を立てて「ふふふっ」て笑ってみたり。

そうすると、この人って気落ち悪い人じゃないんだってイメージが周りの人にも広がって

「おはよう」って声をかけてもらったり「元気?」って言われたり
ぽつりぽつりと周りのお年寄り達とも会話をするようになっていったんです。

それはとてもとても幸せな光景でした。

………………

この話を聞いて私は思いました。

要らん子だってお母さんに言われた言葉をずっと心の中に持ちながら、
暴力や世の中に反する事でしか悲しみを表せなかった人が
人生の最後に、目には見えない言葉にはならないものを、心の瞳で招来屋の美香さんが見てくれたんだと。

そこを観る事が出来る心を作ってくれたのは、死んで欲しいとまで憎んだお父さんの介護であり、憎んできたはずのお父さんが美香さんの心の目を開かせてくれたんだと感じました。

人生、苦しくても、悲しくても、生き抜くってまんざらでもない。そんな事に気付かせてくれるのが利用者さん達なのです。

人を思う心が、利益にもならないままのエッセンシャルオイルを差し出し、その人の心をつかむ

自分の未熟な心では気づけない限界を超える

だからこそ、目には見えない彼らの心に届けて欲しい

これからの夢を聞かせてください

自然療法を使っている村を作りたいです。
子供もいて医者もいる、小さな村ならば、そこで徘徊もできるしね。
日本の真ん中、浜松で弱い時もオイルに助けられて当たり前に暮らせる村。

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