自分がびっくりするくらいおかしくなったんです。可愛そうだと思ったんです、あんなに息子は頑張ってきたのに、我が子が大学受験に受からなかった現実に、私はみっともないくらい揺さぶられたんです。
大木のような母になりたい。結構、アタシは立派にやっている母だと思っていたのに、あそこまで自分が保てなくなるとは思っても居なかったんです。その時、一番先に相談したのが、大木のように思える小池さんだったんです。
小池さんは言ったんです。「来たぞ!チャンスが!せっかく落ちたなら、息子が浪人させてくれって頼んでるなら、もう一つ上の大学に行けるチャンスがやってきたぞ!おめでとう、むっちゃん。金を稼げ!息子の人生、親として協力してあげられる事は今、金の工面をし、稼ぎだして上げる事だけだよ、良かったじゃない、息子にピンチが来て!」
今日は、皆で大木のように地に足ついた大人になれるように、この塾を開催することを決めました。育脳セミナーという名前をつけましたが、それは何があっても潰れない思考を我が子達に作ってあげたいという思いからなのです。
今日の「育脳セミナー」とやらの主催者であるむっちゃんは、そう始まりの挨拶をした。
私はその始まりの挨拶を受けて、こう答えた。「可愛そうだって?随分失礼じゃない、母に可愛そうだって言われる息子、どうよ?」
今日はどうしても母が主催する塾に同伴したいとやってきていた息子に問いかけてみた。今思えば、彼は育った家を離れてゆく18の春に、母が働いている場を、仲間たちを自分の目で観ておきたかったのだろう。
母が自衛隊をやっていた頃、僕は小学生でした。母はいつも切羽詰まっていました。母のストレスが自分に移りそうで、母が仕事から帰ってくるまで、弟と二人でやるべき事をやっておかないと、母が荒れる事がわかっていたから、弟と二人で必死でした。
「お母さん、最近笑わなくなったね…」そんな長男の言葉をきっかけに、むっちゃんは特別国家公務員という仕事から降りる決断をしたのだ。
彼は続けた。母がアロマの仕事していなかったら、触ったり、コミニュケーションも取っていなかったと思う。経済的には良かったかもしれないけれど、我が家は荒んでいた。生活のために、荒んでいた。それより母のストレス、気持ちを変えてほしかった。
母が別の仕事を見つけた時、僕は反対しなかった。自衛隊は母には向いていない。楽しくなかったら、絶対やらないほうがいい。アロマ、やんなよ、お母さん。
母の楽しさは、子供の自分たちにも移ってくる。母が楽しく有ること、母の楽しんで仕事をする姿は子供である僕らにも移ってくる。
今日の塾が終わってから、むっちゃんは私に囁いた。「小池さん、アタシ、新しいお客さんがもう半年も出ていないんです…」
私は、即答した。「それがどうかしましたか?」
あなたは、そんなことよりも、もうすでに自分の人生に成功しているんだよ。我が息子が、母にシアワセであってほしいとずっと願って来た事、今もこれからもそう願い続けている事を、臆すること無く皆の前で言葉にした姿を見た時、これ以上の成功は無いじゃない。
新しいお客様と一人も出会えてない?望むタイトルを手にできていない?そんな事、大したことじゃないじゃない。あなたの人生の成功に比べたなら。
コロナ騒ぎで息子の卒業式に親の参加は許されなかったむっちゃんに向けて、皆で仰げば尊しを口ずさんだ。
「18才、我が子が家を出る時に、どこを目標に子育てをしますか?」そんな問いかけで始まったベビーマッサージ教室が出会いだったむっちゃん。子育てからの卒業、心よりおめでとう。