どうでしょ?改めて写真で見ると、案外大した事無いような気がしてきました。
もしかして、皆さんの実家に負けてたりして….
兄は、多分アスペルガー。50年以上も前に、アスペルガー症候群なんていう言葉な無く、小学生の頃から、生きにくさを抱えていたのかもしれない。
小学生高学年の頃から、もう、家の中で抑えきれない怒りで、いつも怒鳴っていたことを忘れることができない。
難しい試験に合格しても、好条件の仕事についても、続くことはなかった。
そして年を重ねた両親の家に居座り、親の年金と預貯金を盗み、そんなときは普段にも増して、老いた両親を怒鳴り、悪態をつくのだと、
父が寂しそうに話したときも、私は聞き流していた。
でも、いつか、そんなストレスから言葉が出なくなった父を見ないふりをし続けることができなくなり、自分の嫁ぎ先の近くに呼び寄せてから、私の15年の介護人生が始まった。
恨んできた兄、大嫌いだった兄。居なければよかったのにと思った兄。
兄の言葉と経済的暴力により、自分たちの建てた家で暮らすこともできなくなった我が両親。
私は、親を看取ったあと、この兄に対してどんな感情が湧くのか、想像もできなかった。
昨夜、兄の夢を見た。兄が小さくなって死んだ夢。目が冷めて、気づいた。逝った両親が、兄ことを心配しているのだと、すぐに気がついた。
でも、大嫌いだった兄の暮らす実家に、一人で行くことは私にはできない。
そんな時は、忙しいのは承知しているが次男に一緒に行ってくれないかと電話をする。いつも、そっけないのに、こんなお願いにはいつもひとつ返事で「いいよ」と言ってくれる。
自分の親がボケたから、ボケた親を看る家族の気持ちがわかる。
実家がゴミ屋敷になったから、ヘルパーになった時も、訪問先の散らかった部屋よりも、その家族の心に気がつく
家族だから、できないことが有るんだ。
家族だから、逃げたくなることもあるんだ。
逃げてもいいんだよ、できなくてもいいんだよ
恨んでもいいんだよ、許せなくってもいいんだ。
みんな、みんなおんなじだよ。
弱い自分でいいんだよ、
そんな事、伝えたくて、
久しぶりに「アロマで介護塾」再開します。
弱いみんな、集まれ。
弱いまんまでいいから、一緒に笑おう。
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