- 2010/08/14
90才の保子さんが、お地蔵様の浴衣と帽子を塗ったというので
見に行ってきました。
このお地蔵様、なんと歩くらしいのです
ガタイの良いお地蔵様、浴衣が涼しげです。
この話は、ちなみに「うそ」ではありません。
………………………………….
「うそ」
認知症のお年寄りには、一所懸命に嘘をつく人がいます。
「さっき食べた○○は、おいしかったネェ」
「お、おぅそうだなぁ、あれはうちの畑から持ってきたものだ。あれはな…」
「昨日の夕方、ディサービスから帰って家でゆっくり過ごせた?」
「ああ、いつもうちに帰ったら夕飯の支度をしねぇばおいねぇから忙しいんだ。
ゆっくりなんかしてらんねぇ。」
「夕飯の支度はお嫁さんがしてくれてあるでしょう?」
「いや、あれはなぁ~んもやらねぇから、オレがやんねぇばおいねぇ」
「ふ~ん」
少し前の事がわからなくなり、頭の中の混乱を隠すように、
いや、自分自身に納得させるように、作り話を積み上げてゆく。
これらを「うそ」と呼べるのかはわからない。
スタッフである自分達は「うそ」をつく。
「女優になる」という説もあるが、相手の作話に合わせて、
ありもしない話を永遠と繰り広げる。
たとえば
「今日は定期健診の日だから、その前にお風呂に入ってしまおう」とか、
「役場からの通達で、食後はゲゲゲの女房が終わるまで、食休みをしなければいけない決まりになった」とか…
でも、自分達の一番のうそは、わかったふりをする事。
年を取った悲しみ。
認知症になった苦しみ。
思い出すことの出来ない怖さ。
何でも出来ていた自分が、壊れていく様を食い止める事のできない彼らの中で膨れ上がる恐怖…
共感、うなずき、わかったふり、わかっているふりをする自分達。
全部うそだ。
お年寄り達の戸惑いや恐怖のこれっぽっちもわかっってなんかいない。
わかってなんかいなくせに、わかったような顔をして、
大きなえらそうな顔をして、
お年寄り達の隣にい続けたこと、
自分達がどれほど未熟で、うそつきだったのかを
年を取った時に、思い知るのだろう。
「うそ」をつかないで生きることの出来る人間がいるのだろうか?
いないだろうなぁ
それなのに「うそをついてはいけない」とわかったような事を言う人間ってやつ。
沢山嘘をついて、作り話をしてペロッと舌を出して、ガハハと笑う
尊敬すべき年寄り達。
うそをつかずに、生きることなんぞ出来ないのが人生
そうだよねぇ、じーちゃん、ばーちゃん