子供に恵まれなかった姉が、最愛の夫を肺がんで看取って100日が過ぎた。
夫に依存し生きてきたように見えた姉が、夫の葬儀を出し、夫の退職の手続きや、役所の手続き等に追われ、泣きながら100日が過ぎた。
「医療者とチームになって頑張るんだ!」ぜったいに夫を失いたくないと言う姉の思いは、妹の私の言葉は耳に届かなかった。
薬を手放すという姉の決断
全力を尽くして医療の手を借り、勧められるままに治験の抗がん剤治療を受け、数度の手術を受け、元気に会社勤めをしていた頃からわずか数ヶ月で義兄は逝ってしまった。
早めに医者にかかって、早めに検査して、しっかりとお薬を飲んで…
心配症の姉は、夫とともに少しでも長く元気でいたいと一生懸命に暮らしていた。
あまりにもあっけない、大切な人との別れ、それでも最後の最後に、誰の言いなりにもならず、夫を自宅に連れて帰る事を決めた姉は、夫を抱いて看取った数日を自分の宝としている。
その日から姉は、何も言わずに自分の手元にもあった沢山の薬を手放すことを選んだ。
なかなかやめられない目薬
それでも一つだけ、頻繁に自らの目に指す目薬を止めなかった。
目薬がないと、涙が流れ、目が乾いて居てもたってもいられないのだという。
「それも手放していかないと、取り返しの付かないことになるよ。」
そんな私の言葉に、少しずつ目薬を減らし、いつの間にか姉の元から大量にあった目薬も消えていた。
将来への漠然とした不安
夫に依存して生きてきた姉が夫の葬儀を出し、後片付けをしてきた百日で、寂しさと背中あわせに小さな自信もついてきたのだと聞かせてくれた。
「私、一人でこれから先、どうなるのかなぁ?出来るだけ、このマンションで暮らしたいと思うんだ。それは年を取ったらムリなのかなぁ?介護付きの部屋に移ることになるのかなぁ?」
そんな事を口にする様になった。
周りにも夫婦二人暮らしの方や、シングルの友達が多いという。
お線香を上げに来てくれたり、一緒に食事をしたりする時も、いつも同じような話になるという。
親の介護と、これからの自分達の行く末への不安。
みんな、みんな、見えないものが怖い。
親を看取り、沢山の人達の介護と看取りに寄り添ってきた自分たちには、想像することが出来る。
多分、こんな老後が待っているであろう事、そして、超高齢化社会から逃げることの出来ない日本という国が、何処へ向かってゆくのかも。
60代の方に聞いても70代の方に聞いても、どこか介護は他人事、それどころかまだ親の介護で手一杯の方たちがあまりにも多い。
「施設に入るからいいのよ…」
「ボケてしまえば、ワカラナクなるから幸せね…」
そんな現実を見ようとしない姿に驚く。
知ろうとしないこと、無知はやっぱり罪であると。
やっぱり自分で考えるしかない
では、誰に対して罪なのだろうか?
自分自身に対してかな?
人は幸せになるために産まれてきているのだから、自分を幸せにしてあげなくっちゃ。
要介護に向かう自分達に、今、始められることがある。
その思いは、最後まで我が家で自分らしく暮らし続けたいという願いは、
お国の方向性もおんなじだよ。
そうあって欲しいと政策を掲げている。
一人一人が自立してほしいと。
その一番の理由は「もう、お国頼りではムリですよ〜」と、メッセージを出しているのだ。
今から自分に出来る事がある。
自分らしい、自分の身の丈にあったやり方が。
親を看てもらいたい施設を立ち上げてみて、娘の位置としての自分の夢はかなった。
今度は、自分の世話になりたい施設を夢見ている。
最後まで自由気ままに我が家で暮らせることが最上の夢。
でも、施設であんなに楽しそうに微笑む年寄りたちをみて、
その時の心は今と違うのかもしれない。
我が家に居ても、この施設に居ても素敵!
そんな自分とみんなの居場所作りを、
終の棲家を本気で見据えていきたい。
同時に、最後まで自分の脳が自分の言うことをある程度聞いてくれるように、準備してゆきたい。
その準備の方法を伝えたい。
一緒に学び、夢叶える仲間と出会いたい。