「親が死んでしまったら、自分はどうなってしまうのだろうか?自分がこうやってやりたいようにやれているのは、親が何事もなく暮らしてくれて居るからで、親に甘えたままの自分だからできる事で、親が病んだり、死んでしまったら一体自分はどうなってしまうのだろう?」
自閉症スペクトラムという診断名を持つタケシは、そんな不安に押しつぶされそうになって二十数回めの行方不明になってしまった。
「どうするんですか?彼が居なくなった穴埋めは、私達が頑張ってするのですか?」
「そうです、皆で彼が帰ってくるのをまちましょう。前回のように、きっと彼は気持の整理がついたら、またいつもの様に戻ってくると思うんです。ろくじろうは、彼を辞めさせるつもりは全くありません。ろくじろうは、他に行き場の無い方や、他では働く事の出来ない方が、優先的に居る場所です。他に働く場のあるかたは、どうぞ他で働いて頂いてかまいません。」
経営者にそう言われては、突然行方を暗ました仲間が、帰ってくるのを待つしかない。彼の仕事の穴埋めをしながら…
他では働けない人が、優先的にはたらく場所って、どういう事?じゃあ、自分たちは一体なんだと言うのか?
他に行き場の無い利用者さんが、ろくじろうを利用するのは分かるけど、他で働けない人こそ、ろくじろうではたらくのだとは、どういう事なのだろうか?
出張先に向かう新幹線の中で携帯電話が鳴った。電話は、タケシが親子でいつもお世話になっている臨床心理士の先生からだった。
「今、タケシさんから私に電話があったんです。こんな事、初めてです。家出から戻って、いつも道理に出勤しておいでと職場から言ってもらって、今日が約束したその日なんですけれど、どうしても行けないと言うのです。仲間からどう思われるのか、こんなとんでもない事を二回も繰り返してしまった自分が、何事もなかったかのように、このまま出勤する事がどうしても出来ないと。職場にとっては、甚だ迷惑な話だと思うのですが、彼が失踪せずにSOSの電話をして来れたのは初めてなんです。
まず、職場にそのままを電話しなさいと伝えましたが、職場は大丈夫でしょうか?」
そっか、彼が生きて帰ってくる事を、心からホッとしている仲間が居る。それと同時に、彼が居なくなった現実は、残って彼の仕事をカバーし、日常を続けなければならない自分たちにとって、どれほどの気づきと成長をくれることか、これは自分たちや残るスタッフにとって、ものすごいチャンスなんだ。
それに気づける人達が、はたしているのだろうか?
そう言い続けてきた一人であるろくじろう管理者に電話をして、事の成り行きを伝えてみた。
「いいんだよね、彼がそうやって行動する事、それを黙って見守れるフトコロがろくじろうには、有るのかなんだよね?」
「他では働けない人こそ、ろくじろうで働いて欲しい。それがろくじろうの考えで有る事に変わりはない。そりゃあ、気持ちよくないと思う人は居ると思うよ、タダでさえ迷惑かけられ、仕事のしわ寄せが自分たちに来たと感じる人達にとっては、今日の事はホラミタコトカ…という事になると思う。それでも、こちらがブレなければ良いだけの事だから。現場はなんとでもなるのだから…」
どんなに小さな事業所であったとしても、そうでなくても、いや、たった一人経営であったとしても、自分が本当にやりたい事にブレないでいられるのか?それをも、タケシの行動は、スタッフの動揺は、自分たちを試してくれる。
親が老いて、死んてしまったらどうしよう。親の死に自分はきちんと立ち向かえるのか?親亡き後にも、自分は一人の大人として生きて行けるのだろうか?
そんな不安はタケシが特別なのでは無い。自閉症スペクトラムという診断名を持つからでもない。
みんな、みんなおんなじで、誰もが抱えている不安。だからタケシは特別ではない。でも、彼はそんな自らが作り出した不安に襲われると、現実から逃避するという行動でしか対処する方法をしらない。
他で働けない人は、ここで働けばいい。他にもっと自分を成長させてくれる職場がある人は、他で働けばいいさ。