給料が払えない。。かおり庵の閉店。
あなた達の給料を払えないから、
私がスーパーのパートに出ることにしたから…
アロマテラピーのお店をやっていた頃、
雇用していた仲間達に、
履歴書を書きながらそう話すと、
一人の若者が真剣な顔でこう言った。
「やめてください小池さん!
それなら、私がパートにでます!」
リーマンショック、震災、不景気。
もうアロマテラピーなんぞというもので
経営を立てて行ける目処は立たない。
アロマからアロマを使った介護へ
苦肉の策で、こんな事を決めた。
「介護保険事業に事業内容を変えようと思うんだ。
みんなでヘルパーの資格を取りに行って、
訪問ヘルパーで稼いで、何とか食いつないで行こう!
みんなで、この店も開けながら訪問ヘルパーにでれば、
暮らして行けるくらいの賃金は
稼いで来られると思うんだ…」
あの日から、何年経ったのだろう。
一人の電話番を店に残し、
スタッフみんなでヘルパー2級講座を受けに通い、
自宅を使って始めたデイサービス。
そして、利益の残らないアロマテラピーの店を閉める覚悟を決めた。
「こんな事、私のやりたい仕事じゃない!」
と去っていった人達。
「小池さんがやると言ったらやるのだから、
私達も覚悟を決めるしかない」
そう言って、ヘルパーになるべく
講座に通うことを覚悟した仲間達。
「心の拠り所だったのに…」と言ってくれた
かおり庵のお客様たち。
「私達を見捨てるのか…」と諦めてくれた、
全国のネットで繋がっていたお客様達。
ベビーマッサージの卒業証書にはこう書いたっけ。
「人生に行き詰まった時、かおり庵を訪ねてほしい…」
それなのに、かおり庵は自分たちの無力さのせいで、
閉店してしまった。
かおり庵の復活
あれから、何年が経ったのだろうか?
そんなかおり庵が復活した。
古いちいさな二階家を見つけ、
不動産屋さんに案内され、
中に入った瞬間に「ここだ!」と感じた。
なぜかは、わからないけれど…
今日、復活したかおり庵で十年ぶりに行なわれたアロマ塾。
かつて去っていった、
それぞれの場で苦労し、
学び、成長してきた仲間達も、
一人づつ戻ってきた。
そんな中、玄関のチャイムが鳴った。
「私達、ここの大家の妹です。
九州から来ました。
ここは亡くなった姉が35年も前に夢を持って建てた家。
鍼灸師をして沢山の人を救ってきた家なんです。
どんな方に借りて頂いたのか、失礼かとは思ったのですが見たくて…」
その話を聞いて、やっぱりと思った。
私達はこの家に呼んで頂いたのだと。
この家で、人を幸せに導いてあげてほしい。
この家を、この地域の人たちを頼むと、
逝ったヒデコ先生から託された、
新しくて古いかおり庵が始まった。
みんなの心の拠り所になる事を願って、
「アロマステーション・かおり庵」と名付けました。