自分の死を、知らない人は居ない②正さんの物語

目次

「父ちゃん、父ちゃん、バイバイ、バイバイ…」

「お父様が危篤なので、次男さんに合わせてあげたいのですが、
ろくじろうへお連れ頂く事は難しいでしょうか?」

次男さんが暮らす知的障がい者施設の電話口の方は、
早朝のこちらからの一方的な電話に対して、
一つ返事で快諾かいだくして下さった。

そして、正さんの心残りの一つであった
次男さんがあわててろくじろうに到着した時には、
もう正さんの瞳は二度と開くことは無かった。

親戚の人に促されて握った父の手を
「ひぇ!」という驚きの声と共に、
彼はすぐに離してしまった。

逝ったばかりの父の手が冷たかったわけではない。

それでも最期の時間を家族の中で
一番長く一緒に過ごした父が、
もうこの世の人ではない事を
触れた父の手から彼は瞬時に
感じ取ったのだと分かった。

「父ちゃんともうお別れだぞ、父ちゃんありがとうって言えよ。」

さらに親戚にそう促されて、彼は小さな声で何度もつぶやいた。

「父ちゃん、父ちゃん、バイバイ、バイバイ…」

正さんとろくじろうとの出会いは、
この日からさかのぼって、わずか二十日前の事だった。

自宅で倒れているところをヘルパーさんに発見され、
入ったショートステイが一杯で、
五月末には出なくてはならないという。

食事を取る気力も体力もなく、
点滴で何とかつないできた枯れ枝のような85歳の体。

たとえ一晩だけでも自宅で一人過ごすことは
難しいだろうと悩んだ親戚が、
たまたまろくじろうスタッフの自宅の家の近所の人だった。

「一人分なら、空いたところですよ」
そう返事をすると翌日、世話になっていた
ケアマネさんと一緒に正さんはやってきた。

大きなボストンバックと黒いスニーカーと共に。

ここがいい…

リビングを障子一枚隔てた部屋では、
幼い子供たちがドタバタと走り回り、
年寄りたちとスタッフ達の大きな笑い声や生活音であふれている。

すぐにベッドに横になりだるそうに眼をつむる彼には
もっと静かな部屋の方が
気持ちが安らぐのではないかと懸念した。

だが、何度聞いても彼の答えはこうだった。

「ここがいい…」

「 明日から、正さんという方が私たちの仲間になるのでよろしく頼むね。」いつも新しい方が見えるときは、そんな風に一人一人の年寄りにお願いしておく。そうすると、どんな人が仲間になったのか?ひょっとして知り合いなんじゃないかとか、皆がとても気にかけてくれる。

「正さん、今夜は何が食べたい?そうめん?おかゆ?おじや?ラーメン?」悪いと思うのか、「なんでもいいよ、皆と一緒で」という応えが返ってくる。そこから、その人の食べっぷり、飲みっぷり、食べられた量などを見ながら、彼の好みそうなものをチョイスして、食事の回数も五回、六回にしてでも提供してゆく。

アイス、メロン、氷、プリン、ところてん、刺身、ジャガイモ、ソラマメ…

ろくじろうに来た時から、かれの手足は赤みを強く帯びていた。食べ方やダルがる様子から、彼の人生はもう長くない事を感じ取った。

「家に帰れるよ、正さん。少し自信がついたら家に帰ろうね。ずっとここに居なくてもいいんだからね」

そう促しても彼の答えはやっぱりこうだった。

「ここがいい。家に帰っても誰もいない。ここがいいよ。」

彼は自分の人生の最後の場所を一目見てここだと決めてくれたのだと知った。本当に、私たちのそばでいいんだね、正さん。それなら自分たちも家族だと思って精一杯大切にさせてもらうからね。

死にきれない…

正さんが亡くなる五日前の事。ろくじろうに来て、わずか二週間でスタッフのるみはすごいチアノーゼになった彼の足をマッサージしながらこんな話をしたそうだ。

「正さん、もう体はいっぱいいっぱいだね。」(正さん、うなずく)

「まだ、心残りがあるの?」

「死にきれないなぁ…」

「何が心配?」

「後の事が…」

「次男さんの事?」(返事なし)

「三男さん?」(うなずく)

「全部引き受けて、ちゃんとやれるか心配なんだね?うちの夫も親から育て過ごし(育て方が間違っていた)だって言われて、両親はずいぶん心配して死んでいったけれど、親がいなくなれば、何とかやって行ってるよ。うちの夫も年寄りに育てられた、正さんの子も、育て過ごし?」

笑いながら、うなずく。

それでるみと正さんのその時の話は終わった。

その後、急いでるみが私に聞かせてくれた。

「正さん、言っていました。まだ死にきれないって…」

その話を聞いて私はるみにこう答えた。

「あんた、また死ねないのか?って利用者さんに聞いたの?ちょっと早くない?」

 

亡くなる日の朝、呼吸が変ですと夜勤スタッフからの電話にかけつけた。

私が主治医や三男さんに電話している間、るみは正さんをマッサージしながらこんな会話をしたという。

「この間、息子さん来たんでしょ?お嫁さんと一緒にいるところを見たら安心したね」

「ウン」

「育て過ごしでも、大丈夫だね」(笑っている)

「もう、安心した?」(笑ってうなずく)

 

この直後、意識がもうろうとして、もう返事をする事も頷くこともできなくなった。

廊下でバタバタと連絡をしている自分をるみがよんだ。

「小池さん、小池さん…」

その呼び方にあわてて部屋に戻り、正さんのベッドサイドに回った。

彼の左側から手を握りおでこをなでお礼を言った。

「正さん、正さん、ありがとう、ありがとう。正さん、よく生きたね、一生懸命生きたね。立派だったよ、正さん、本当にカッコよかった。いい人生を見せてくれてありがとう..」

右側に三人のスタッフ。左側に三人の親戚と一人のスタッフ。

意識が遠のいて、最後に一度だけ苦しそうに息をして、綺麗な綺麗な涙をす~っと一筋流して、正さんは逝った。

 

「分かれる事はつらいけど、仕方がないんだ君のため…♪」

 

朝、出勤してくるスッタッフたちを待たずに正さんは逝った。

八時過ぎ、二歳の男の子を抱いてまりちゃんが出勤してきた。

「まりちゃん、大君、正さんが逝っちゃったよ。正さんにご挨拶して。」

二人は目を丸くして正さんのベッドサイドに駆け寄った。

続けて一歳半のタイスケを抱いて、妊婦のノンちゃんが出勤してきた。

「タイタイ、正じーじーにいい子いい子してあげて」

二人の幼子と、若いママ達が昨日までわが子にバイバイをしてくれた正さんとの別れが来た事を知った。

生きるも死ぬも、ろくじろうにはそれが当たり前の姿でそこにあった。

正さんの優しい顔を見て、ああ、上手に逝ったんだなぁと思ったと、若いママが聞かせてくれた。

主治医の指示の後、家族の承諾を得て、ろくじろうでは家族と一緒にそのままエンジェルケアをさせて頂くことが恒例となっている。普段亡くなった人に触れる機会がまだ少ない若いスタッフたちに積極的にかかわってもらうチャンスでもある。

一人のスタッフは言った。
「初めてでした。一緒にいた人が逝った直後を看る事。皆が体をきれいにしている姿、話しかけながらやってるその中に入れてもらえて、ああ、いいなぁって思った。」

「いい経験をさせてもらいました。お年寄りたちみんなで一緒にろくじろうからお見送りして、カネジさんの”正さん、ありがとな”っていう言葉は、グッときました。」

一緒にその場に居あわせた親戚の方は葬儀の時にこういってくださったと聞く。

「いいったぁなぁ、娘もいねぇからろくじろうに行かねぇば、体をさすってもらう事もねぇったっぺぇなぁ。みんなであんなに手足さすってもらったり、顔なでてもらったり、本当にあそうで世話になっていいったぁなぁ」

 

正さん、本当に正さんもそう思ってくれたかなぁ?最後まで我慢強い、正さんだった。もっと、もっと聞かせてほしい事、話したいことがあったのに…本当に上手に枯れていったね。

 

カッコよく、スーツとネクタイとシャッポで決めて、もちろんズボンの下には私たちが父の日にプレゼントしたステテコを履いて正さんはろくじろうの玄関を後にした。ろくじろうのじーばーたちが唄ってくれた星影のワルツ。

 

午後からは今日の反省会をした。だれがって、もちろんろくじろう恒例のスタッフと利用者と全員参加の反省会。正さんをしのぶ会にするには、正さんとろくじろうのみんなとの時間が、あまりにも短すぎた。

じーばー達との、看取り反省会

「では、おやつを食べながら今日の反省会を行います。まずは、正さんの事をケアマネから話してもらいます。」

「正さん85才。彼は家にいた時からご飯が食べられなかったんです。ろくじろうに来ても、皆と一緒にいる体力も無かったのですが、部屋のベッドから皆の顔を見て、同級生もここにいる事を知って、とても喜んでいました。

病院で調べれば、きっと体中に癌もあった事でしょう。食事も摂れずに、でもその分薬も飲まずにピンピンコロリで行くことが出来ました。

彼は二年前に奥さんが亡くなりそれから一人暮らしでした。だから、最後は皆のそばがいいと望んだのです。一人暮らしであっても一生白浜で生き、白浜で死んでゆくことができます。」

 

「正さんの今日の様子を見て、みなさんは何を思いましたか?」

84歳の俊子さんがこう言った。

「最高です。知っている人の顔を眺めながら、皆が送ってくれる。最高だと思いました」

85歳のサトさんもこう言った。

「最高だぁなぁ。自分もそうやって死にてぇなぁ。家に居れば一人だ。正さんは、いい顔してたぁなぁ」

85歳のカネジさんはこう言った。

「いい死に方だぁよぅ。」

 

カネジさんはおねぇどしだもんね。正さんを見送る時、カネジさんが正さんありがとうって言って送ってくれたこと、家族が喜んでいたよ。

正さんはね、ここで友達が欲しってずっと言っていた。カネジさんがいつも正さんの事を気にかけてくれてうれしかったって。

 

エンさんはどうでしたか?

 

「カゾク、カゾク…」「え?家族?ああ、みんながまるで家族みたいだったって事?」

(エンさん、うなずく)

 

そうかぁ、ろくじろうはみんなが家族みたいなんだ。大家族だね。でも、じーばーが多くてやだねぇ。

 

「ああやって死なれれば、一番いいよぅ。スーって、綺麗な顔してたよぅ」

さとさんがそう付け加えた。

92歳の保子さんはこういった。

「ありがたいです。私が一番ここで古いでしょう?私が来てから何人も逝ったね。私の時も、皆さんよろしくお願いしますね。」

「保子さん、その時は乙浜の自分の家がいいの?それは私たちが聞いておいて、必ず娘さんたちに伝えるからね。でも、娘さんがその時にろくじろうに泊まりなさいって言ったら、ちゃんと娘の言う事聞くんだよ」

「ハイ、わかりました(笑顔)」

 

福島さんは今日の事、どう思いましたか?

「残念だったねぇ…」

福島さんはバリバリの認知症で要介護4。それでもいつでも教えられる。そうか、こういう時は「残念だった」という言葉をああやって使うのだとまた教えられた。

 

「カネジさん、カネジさんは最後に何を着るの?スーツある?」

「あったけど、みんな弟にくれちゃったよ」

「え~!ダメじゃん。返してもらいなよ」

「金があんだもん、買えばいいやで」と一人の年寄りが言った。

「そりゃぁそうだ!舶来の一番いいやつ、買っておくか?」

泣き虫で怖がりで体が大きくて、人一倍病気や死を恐れていたはずのカネジさんがニコリと笑った。

「カネジさん、お母さんより後がいい?先がいい?どっちがいい?」

「やっぱ、先がいいなぁ…」

「最期はどこで死にたい?」

「家がいいなぁ」

「私たちが聞いておくからね。そして母さんと娘さんに言うからね。そして、カネジさんが家に帰ったら、私たちが最後までカネジさんの元に通うからね」

死ぬ前に、やり残したことがあったなら

最期にケアマネの美穂がこの反省会を閉めた。

「正さんはここに二十日間しかいませんでした。

彼にはやりたい事が三つありました。

一つは、施設に入っている次男にあっておきたいという事。

二つ目は奥さんの三回忌に出席したいという事。

三つ目は、お墓の掃除に行きたいという事。

そこを目標に彼はがんばってきました。

そして先週の日曜日にその三つをすべて叶えてホッとすることができました。

そして悔いなく逝くことができたと思います。

死ぬ前にやり残したことがあったなら、私たちの誰かに言ってください。

一つづつ夢をかなえて安心して逝ってください。

ただ、みなさんがあの世へ逝ったら、ろくじろうを守ってください。

ろくじろうの商売繁盛をよろしくお願いいたします。」

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