親を思う事がありますか?

人はなぜ、さみしいのか?

それは生まれてきたからでしょう。

誰もが一人で生まれて、一人で死んでゆくしかない。生きるとは、さみしさを受け入れることです。さみしさを肯定することです。

さみしい人ほど、より生きている。

私は、そう思います。

今、あなたは、さみしいですか?

もし、そう感じたら、何も悲観することはありません。

さみしくても、大丈夫。

さみしいから、大丈夫。

人はなぜさみしいのか?

それは死ぬからでしょう。

人はさみしさから生まれ、

さみしさの彼方へと消える。

しかし、そのさみしさの彼方に、

私の母はいます。

今、私はさみしさと一緒に、

私の母を抱き締めたいと思います。

(寂しさの力・中森明夫著より)


「サミシイナァ…」晩年、

老いた母は、何度もそう口にした。

夫婦で建てた家を、

追われるように捨てて来た事よりも、

長年共に暮らしてきた近所との付き合いを

後にして来た事でも無く、
母の寂しさは、

もっと些細な日常の中にあった。

夫と二人で食する、

ささやかな夕飯の鍋を焦がしてしまった事。

火事を出すといけないからガス台を使ってはいけないと、

娘の私から一方的に言い渡された事。

そんな一つ一つに「さみしぃなぁ…」

そうつぶやいていたっけ。

反面、父の晩年の口ぐせは、

「なさけねぇなぁ…」だった。

人に迷惑をかけないように、

何でも一生懸命だった父なのに、

ゴミ収集所の掃除当番ができなくなり、

訪問介護の日を忘れて、

出かけてしまったり、

ストーブの灯油の入れ方が、

解らなくなったり…

「なさけねぇなぁ…」

そう、つぶやいていた父の

悲しそうな後ろ姿を
親が死んで三年も経ってから、

一つ一つ思い出すものなんだと知った。

「青い月夜の浜辺には、

親を探してなく鳥が…」

年寄りたちと浜千鳥という唄を

一緒に口づさんだ時、

こう問いかけてみた。

「今でも親を思いだす時がありますか?」

その場に居合わせた、

全員の年寄りたちが頷いた。

「あるよ、足が悪くなってしまった自分を見て、

親が生きていてくれたなら、

なんて言ってくれたかなぁ?
親が居てくれたらなぁ…
明け方にそんな事を

思う事があるよ…」

そっか、親は死んでからも、

いや、死んでからこそ、

忘れられない存在になるのだと知った。
さみしぃなぁ

さみしぃなぁ
年を取ることは、

死にゆく事は
寂しい事。
そうつぶやいていた母の姿。
真剣に受け留めて上げることをしなかった、娘の自分。
情けないや…

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