父の認知症とアロマテラピー

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ドテラの精油を父の背中に垂らしたその日、通所でやってきた母と一つのソファーに二人は並んで座った。二人は同じ窓の外を眺めながらすごした。

お昼になった。いつもの卓袱台の前に父は座った。「今日は二人で向き合って食べてみるかい?」スタッフが言った。「そうしてみるかな…」母が珍しくうなずいた。

二人で黙ってお昼ご飯の箸を取った。すべての利用者さんが食べ始めるのを見届けて、私も空いた席を探した。両親が座る卓袱台の席が空いていた。そこに黙って座ってみた。三人での昼食が始まった。

母はいつものように話し始めた。ちょっと抱いたひ孫がどれほど美人だったのかを何度も繰り返し話した。「いや、あれは大女になるよ…」そんなたわいもない会話が弾んだ。父は頷きながら箸を動かした。その光景は、もうずっと、どれほど望んでも戻らないはずの光景だった。

 

自分たちが苦労して建てた家も、長年の近所付き合いも全部捨てて、息子の暴力に耐えかねて逃げるように娘の嫁ぎ先の近くにアパートを借りた老いた両親。ホッとしする間もなく発症した父の認知症。

それでも、それぞれのデイサービスに通いながら、老いた二人はつつましく助け合って暮らしていた。忙しがるばかりの娘が、朝晩顔を出しても、バタバタと駆け足でいってしまう。それでも、たまに座って一緒に話を聞くと、二人は本当に嬉しそうだった。寡黙な父、おしゃべりな母。

認知症という病は、そんな穏やかな暮らしも、長年連れ添った老夫婦の二人暮らしも奪ってしまった。

「懐かしいよ、とうちゃんと二人で過ごした日が。淋しいよ、年を取るって事は淋しい事だよ。」母は、自分の姿を見つけては一方的に怒りをぶつけてくる夫から隠れるように、デイサービスに来ても過ごすようになった。

頼まれた買い物を持って訪ねる一人暮らしのアパートで母はいつも聞く。「じぃさんは(夫は)おとなしくしているかい?」「うん、夜はおとなしく寝ているよ。トイレに行っても一人で部屋に戻れるようになったよ。」「そっかぁ、おとなしいばいいよ、それはいいったぁなぁ…」

もう、二人で囲む卓袱台も、三人で力を寄せ合って相談しあう時間も失ってしまった。沢山の事がてんこもりの十年だった。

娘の顔もわからない、女房の顔もわからない。それでもいつも心配の尽きなかった不出来な女房を探し続ける父の姿。

「病は役に立つものである。」敬愛するバッチ博士の言葉。人に迷惑を掛けずに一人で何でもこなしてしまう父が、これほど人の手を煩わせ、世話になり、大事にしてもらう時間は父が認知症という病によってもらった幸せ。

娘の私に自分の病を通して学びと仕事を授けてくれた。そして苦しみの中、まだこの世に残り続ける父は、娘に更なる学びとギフトを授けようとしてくれている事に気づいた。

娘が生業としてきたアロマテラピー。新しい精油の力を自分を通して試してみろと体と心を差し出してくれる。そして、世の中の役に立てと。親は死ぬまで親なんだと知った。

数年ぶりの、二度と戻らないと思っていた穏やかな家族の時間。やっぱり、これは間違い無いと直感した。

父が認知症だと診断を受けてから十年。この病が治る事を期待しているわけではない。それでも、心穏やかな日常が少しでも戻ってくれたなら、家族としてこれほどの喜びは無い。

一生懸命生き抜いて、人生の最後にこの苦しみの中に居る人たちに一筋の光をくれるのだとしたなら、一時でも早くこの事実を多くの人に知らせたい。

沢山の老いや病と共存して生きる人たちがろくじろうにはたくさんいる。もっとこの人たちに試してもらいたい、試させてもらいたいと思った。

その夜、お泊りの利用者さん達だけが残る穏やかな時間に一人一人のお年寄りに聞いてみた。「このアロマ、受けてみたいですか?」

意外にも彼らの観は鋭い。特に新しい事にははっきりとNOと答える人たち。それなのに、この時、ほとんどの人たちがYESと即答した。その事実にまずは驚いた。

これがいいものだと観でわかるんだって知った。同時にドテラの精油を使う場合の一人当たりのコストの高さが頭をよぎった。でも、そんな事を言っている場合じゃない。ドテラの良さが分かったなら、日本中にどれほど助けられる人たちがいるかと考えた。

そして、この方の反応を見てみたいと思える人、続けられる可能性のある人、今の自分にとても困っている人、を優先的に選んで「この人にやってみたい」と思える人を三名決めてみた。

(私はまだドテラの精油と出会って3か月。ドテラの話を書く事、もう少し待ってほしい…もっと、もっと実体験を積みたい。と考えていたのに、お盆の夜勤の今夜、誰かに書かせられちゃったみたいです…だれ?ドテラ日記も②につづきまっせ…)

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