母を看取って、一年

アルツハイマー歴十年の父の介護が幕を閉じ、そんな父の葬儀の朝に、倒れた母は助けを待っていた。

父の死を悲しむ間もなく、母の介護が続いた。そんな母を一年後に看送るのと入れ替わりで、こんどは義理の兄の闘病と看取りがやってきた。


そして、母の一周忌が、十分に悲しむ間もなくやってきた。
人をおくって思うのは、してあげられなかった事を数える事ばかり。

「幸せだよ、今が幸せすぎて、まだもう少し生きていたいよ」そう言った母の言葉は、今でも親をおくった不出来な娘である自分を許す言い訳になっている。

親の介護をしながら働くのは、忙しい。それでも、親の今日一日の暮らしを支えるために、働く事は、お金を稼ぎに行くことは、当たり前の事だった。

親が我が子を育てるために、無償の愛でやり続けてくれた事と、なんら変わりは無い事だから。

親が働けなくなった時、親の分まで働いて来る事。なぜ、他の家族は、そんな心配をする必要が無いのかが、不思議だった。

私が小さな商売をしたいと言った時、コツコツと蓄えて来た貯蓄を、何も聞かずに全て差し出した父のはにかんだ笑顔。

親の年金も貯金も、雇用した社員の給料に回して、なんとかしのいで来た年月。

ボケた父が母が世話になる介護保険料、食費、オムツ代、アパート代を、今度は無条件で娘の私が稼いでくるのも、当たり前の事だった。

老いた親を嫁ぎ先の近くに連れ来てからも、一緒に笑って、沢山泣いた。

もうすこし、もうすこしだけ、私に心の余裕と柔らかさがあったなら、親を悲しませる事も無かっただろうに。

親を泣かせた後悔と共に生きるのが、人生。もっとしてやりたかったと、後悔するのが、親をおくった後の娘の人生。
親の介護が終わっても、貧乏暇無し。相変わらずの、私の人生。

(旅だちの、前夜)

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