初めて初女さんにお会いした時、わたしは初女さんに聞いた。「死んだ兄に対して、私は何をすれば良かったのだろう。何が出来たのでしょうか」と。
今ならわかる。何もしなくてよかった。

ただ、優しく、大切に思い、つらいんだねと励まし、だいじょうぶだよ、安心してね。きっとうまくいくから。そう、温かく見守っていればよかったんだ。

そうすれば、兄はきっといつか自らのいのちの力で立ち上がって、あるき出したに違いない。

悔いてはいない。私は兄から学んだ。

経験と自分への愛情がともなわなければむずかしい。自分が満たされていないと、他者を励ましているうちにだんだん苦しくなってしまう。

自分を満たす事ができるのは、自分。他の誰でもない。じぶん。

(いのちのエール・田口ランディ著より)
…………
老いた我が親に言葉の暴力を浴びせ、僅かな貯蓄を盗むという行為を繰り返して来た兄。

逃げるように両親を実家から連れ去り、暮らしを支えた私と両親との11年は、親の看取りと共に終止符が打たれた。

一人ぼっちになってしまった兄が、自分の暮らしを支えられているのか、既に孤独死してしまっているのではないか…

老いた親を支えたるだけで精一杯だった自分の選んだ役割が終った後、兄をどうしたら良いのか?生活保護の手続きをしてあげるべきなのか思案していた。

生保の手続きをするとしたなら、妹である自分にも、市役所から調査が入るであろうし、その時に自分は兄の生活費を援助するのだろうか?親の葬儀の後、自分に問いかけている自分がいた。

「なんで末っ子の自分が親の面倒を一人でみなければならないのか?」そう恨んだ時を経て、結局、自分には親の面倒を、見る事なんか出来ないと逃げることも出来たはずなのに、逃げなかったのは、やりたかったんじゃん、自分…と、気付けたときに、肩の力が抜けた。


暮らしの立たない、恨んできたはずの兄に、生活の援助をするのか?ワタシ…そう問いかけてみた。答はすぐに気付いた。やってあげたい自分。


電話をしても出ないおじちゃんが、既に孤独死しているのではないかと、時々連絡を取ってくれていた私の次男から心配する連絡が入り、二人で実家を尋ねてみた。


兄は、荒れて座る場所も無いような家の中に、ひっそりと息をひそめて居た。


何度も鳴る電話は、借金返済の催促ではないかと、怖くて出ることが出来なかったのだという。

11年ぶりの実家。山積みになったゴミをかき分け、なんとか郵便物を探し出し、兄を車に乗せた。


未払いの国民健康保険、ガス代を頭を下げて一緒に支払いに行き、ゆうちょの口座に多少のお金を入れ、最後に返済をしに行ったお店で頭を下げると、店主がこう言った。「山田さんの娘さん?お父さんによく似てるね…」


涙がこぼれそうになった。父を覚えてくれていた人がいる。実直で働き者だった父の息子が、店への支払いも滞っているのに、あの人の息子が、世の中に適応出来ないでいる事に気づいているはずなのに、笑顔で声をかけてくれる昔の父の知り合い。


未払いの国民健康保険料は、払わなくて結構ですと言ってくれた市役所。


食べるものはどうしていたのかと聞くと、一万円を貸してくれた人がいるのだと言う。その人は、お金を貸してくれただけでなく、時々お米をくれたり、野菜や食べるものを、余っているからとくれるのだという。

「世の中には、こんないい人もいるんだよ…」私の大切な親に、暴力を振るっていた兄の口から、こんな言葉が出るのかと、驚いた。


結局、生活保護の手続きはせず、姉と私とで、毎月、すこしづつのお金をゆうちょの口座に振り込む事にした。


ずっと、居なければ良かったのにと思って大人になった兄に対して、それ以上の手を差し伸べる気持ちにはなれない。


後日、台風で被害があったのではと見に行った実家は、改めて見ると、ゴミ屋敷だった。


11年ぶりに足を踏み入れたときには、緊張のあまり、実家がゴミ屋敷になっていることにさえ、気づけなかったのだ。


周りの人から兄に頂いた愛は、私はまた別の人へ送ろう。


出来ない事を、頑張る必要もない。でも


あったかいなぁ、ニッポン…


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